こんにちは。
すぐはっきりミニマルおばさんです。
私は来年、初詣に行かないと決めました。
なぜなら、毎年初詣に行く理由が、わからなくなったからです。
今回は、ミニマルおばさんが初詣に行くのをやめようと思った理由についてお話しします。
初詣の習慣

私は、季節行事がわりと好きです。
特に好きなのはお正月で、お正月らしいことを何かしないと気が済まないといった気持ちになります。
具体的には、
- 初詣に行く
- 厄払いをする
- お節料理を食べる
- 獅子舞に頭を噛んでもらう
- 初夢を見る
- 百人一首や福笑いで遊ぶ
- お菓子を食べながら家でゴロゴロする
などです。
この中でもっとも欠かせないのは、初詣だと思っています。
初詣は毎年欠かさず行っていて、ここ数年は初詣+厄払いが習慣化しています。
ところが、今年のお正月に初詣に行ったときのこと。
ふと、初詣に行くことを私は本当に望んでいるのか、疑問に思いました。
子どもの頃から続く初詣の習慣を当たり前のことだと思い、何も考えずに繰り返していました。
でも、その ”何も考えていない感じ” が、なんだか急に気になりはじめたのです。
今までは、新たな気持ちで新年の挨拶をする清々しさが、私にとっての初詣の意義だったと思います。
それが習慣化してしまったことで、毎年流れ作業のようになっていて、気づけば有り難みや意義を感じられなくなっていました。
神棚って必要?

厄払いの際にいただいたお札を自宅の神棚に祀っていることについて、急にもやもやした気持ちが芽生えました。
ものを極限まで減らしたいと思っているのに、神棚は本当に必要なのか…
私は信心深くないのに、形だけ整えている感じがどうもしっくりきません。
お札を祀るだけ祀って、毎日手を合わせるどころか、定期的な掃除すらしていないのです。
それって神様に失礼なんじゃない?
そんな半端な気持ちなら、祀らない方がいいんじゃないの?
そもそも、初詣と旅先の観光以外で神社に行くことある?
と、自分自身に問いかけました。
ミニマリストになってから、曖昧な気持ちでものを所有することが減ったので、はっきりとした理由のない「なんとなく」という感覚でものを持つことを、居心地悪く感じます。
神棚の存在意義が、私にとっては「お札を置くために場所が必要」という物理的な理由以外に、今のところないのです。
習慣化しているだけかもしれないこと

なんとなく初詣とセットにしている厄払い、習慣化して流れ作業のようになってしまった初詣。
「〇〇だから初詣に行く」
この◯◯の部分の理由をより明確にするために、初詣に行くことをやめてみようと思います。
その上で、やっぱり私には初詣が必要だと思ったら、また再開します。
初詣の他にも、習慣化しているだけで、本当に自分が望んでいるのかよくわからないことがあります。
クリスマスにケーキを食べること

クリスマス=ケーキの刷り込みは、子どもの頃に遡ります。
私はクリスマスのことを、ケーキを食べられる日(+プレゼントをもらえる日)と思っていましたから。
ここ数年は、毎年年末に口唇ヘルペスができる主な原因が、このクリスマスケーキ(を含む忘年会などのご馳走続き)にあるのではないかと疑って、食べなくなりました。
節分に豆をまくこと

節分の豆まき、ついついやってしまうんですよね。
盛大に。
実家の一軒家に住んでいた頃の習慣で、マンション住まいの現在も「おにはーそと、ふくはーうち」と言いながら豆をまいています。
年々、近所の目が気になって、やりづらくなってはいますが。
翌日マンションの廊下に豆が落ちていたりして、
「あ、私がまいた豆だ!」と慌てて拾ったり。
まいた後の豆の片付けがめんどうなこと、40歳で歳の数だけ豆を食べるのが苦痛ということを理由に、来年は節分に豆をまくのをやめるかもしれません。
バレンタインのチョコレート

前から疑問に思っていましたが、バレンタインデーにチョコレートをもらいたいと思っている人って多いのでしょうか?
たまたまかもしれませんが、私がバレンタインデーに何かを贈った人達は、バレンタインデーなどそもそも意識して過ごしていません。
「今日はバレンタインデーだ!」などと心待ちにしていないので、貰っても貰わなくてもどっちでもいいといった反応です。
私がどうしてもバレンタインデーに何かを贈りたいかというと、そんなこともありません。
ただ習慣で、その辺のチョコレートを買ってプレゼントしていただけです。
習慣化しているだけのこと、まだまだありそうです。
「毎年のことだから」「習慣だから」「みんなが参加しているから」ではなく、
「好きだから」「自分がそうしたいから」という確固たる気持ちを持ちたいです。
理由がはっきりすると、迷いがなくなります。
迷いがなくなると、人の意見に左右されにくくなります。
「誰がなんと言おうと私は決めた!」状態は、かなり気持ちがいいです。
おすすめです。
まとめ

今回は、ミニマルおばさんが初詣に行くのをやめようと思った理由についてお話しました。
初詣を例に挙げましたが、結局何が言いたかったかというと…
「なんとなくで物事を決めずに、考えて取捨選択することが大事」
ということです。
なぜなら時間は有限で、その限りある時間は「なんとなく」ではなく「本当に大事なこと」に目一杯注ぎたいからです。
それではまた次回。
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